写真・文=赤司研介(imato)
日付は2024年2月15日。日本の旧暦では立春を迎え、魚が割れた氷から飛び出すといわれる「魚氷上(うおこおりにのぼる)」季節。野迫川村のお隣、和歌山県高野町にある南海電鉄の「高野山駅」に降り立ったのは、奈良市在住の辻江美絵さんと堀江直子さんです。
もともとママ友として知り合った二人は、古くからの友人同士。以前から田舎で暮らしたいと考えていたお二人は、辻江さんの息子さんが野迫川村で地域おこし協力隊になったことをきっかけに村に関心を持ち、「暮らす奥大和」に応募・参加することになりました。
高野山駅で事務局スタッフの車に乗り込み、車を走らせること30分。今回の宿泊先である一棟貸しの宿「けんた家」さんに到着すると、受け入れ先の「NPO法人 結の森倶楽部」の鈴木さんと西本さんが出迎えてくれました。
「けんた家」のお隣にある「かふぇ琥珀」で、西本さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、今日の予定を確認したり、互いの簡単な自己紹介をしたり、しばしゆっくりと過ごします。奈良市からの移動で疲れた体を休めたら、鈴木さんの愛車・ジムニーに乗り込み、まずは野迫川村で一番の有名スポット「立里荒神社(たてりこうじんしゃ)」へ。
標高約850メートルの場所から10分ほど、くねくね坂道をさらに400メートルほど登っていくと、荒神社に到着。野迫川村にしては今年は雪が少なかったものの、駐車場には数日前に積もった雪が集められて残っていました。奈良市ではあまり積もることのない雪に少しはしゃいでから、山頂にある社殿に向かいます。
晴れた日には、紀伊半島の山々が見通せる絶景スポットなのですが、この日はあいにくのお天気。残念ながら、その先に目の覚めるような絶景は待ってはいませんが、全国から奉納された鳥居が立ち並ぶ階段を、一歩一歩上っていきます。
立里荒神社は、桜井市にある笠山荒神、宝塚市にある清荒神とならぶ日本三大荒神(火の神や台所の神といわれる)のひとつで、本社御祭神は、火産霊神(ほむすびのかみ)と誉田別命(ほんだわけのみこと)。縁起によれば、弘法大師が高野山を開く際にこの場所で修業し、三宝荒神を勧請したと伝えられています。標高1260メートルの荒神岳山頂にあり、創建は西暦800年頃といわれる空海ゆかりの神社です。
神社好きの堀江さんは、拝殿を見上げながら放心した様子で「来れてよかったです」と呟きます。それぞれお参りをして駐車場に戻ると、社務所で勤めている西本さんの妻・秀子さんに出会いました。
秀子さん:雨で風景が見れなくて、残念でしたね~。めっちゃきれいなんですよここからの景色。
そう言いながら、西本さんは携帯電話を取り出し、いつもの風景を写真で見せてくれました。
堀江さん:わーすごい! 見たかったなぁ。
画面には、真っ青な空と、どこまでも続く山脈のコントラストが美しい写真が映し出されていました。
秀子さん:こんなのもあるんですよ。
そう言って見せてくれたのは、木々が樹氷に覆われた写真。
堀江さん:すごいきれい! 見たーい!! うらやましい!
この絶景を眼前で見るのはまたの楽しみに、西本さん夫妻とは一旦ここで別れ、続いて辻江さんの息子さんが地域おこし協力隊として働いているアマゴの養殖場へ向かいます。と、その道中、盛大な夏祭りが行われることで有名な「平維盛歴史の里」に立ち寄りました。
「平維盛歴史の里」は、平安時代末期の武将・平清盛の孫にあたる平維盛が、源氏による平家狩りから逃れて熊野・吉野の山中を彷徨い、野迫川村でその生涯を終えたという伝説を偲んで、1989年に整備された公園施設です。毎年7月に開催される夏の大祭には、村外から多くの人が訪れます。
休憩所や歴史資料館、ツツジ園、散策の路や展望台などがありますが、現在は休眠状態だそう。
堀江さん:わーすごくいい雰囲気ですね! 観光施設なんですよね? 動いていないなんて、もったいないですね。
鈴木さん:2~3年前まで地域の人が喫茶をされていたので、お店をしたり、何かに活用することは不可能ではないはず。ここで、誰かが、地域を盛り上げる活動などをしてくれたらうれしいですね。
そんなやりとりをしながら施設をぐるっと見て回り、駐車場に戻って、再び養殖場へ向かって車を走らせます。しばらくすると、川沿いに建てられた施設へ到着。ここは、地元の「大股漁業生産組合」が経営・管理するアマゴの養殖場で、その生産量は県内随一を誇るそう。
建物の前で、一人の男性が待ってくれていました。こちらは、辻江家の長男リョウさん。地域おこし協力隊として、一年前から養殖場で働いています。
実は、辻江さんは、自宅でたくさんの保護猫や動物と暮らしている、根っからの生き物好きお母さん。その遺伝子を継ぐ息子さんも日本の淡水魚が大好きで、魚に関わる仕事を探し、フードロスを減らしたいという思いでこの場所にたどりついたそう。
同じ奈良とはいえ、端と端で離れて生活している辻江さんとリョウさんは、仕事の内容や日々の暮らしぶりについて、親子の会話を交わしていました。
我が子に出会った後は、次の目的地である「ホテルのせ川」へ。移住を考えるにあたり、仕事があるかないかは重要な要素となりますが、お二人にとっての働き口になるのか、その可能性を探りに行きます。
お話を伺ったのは、マネージャーの小林さん。偶然にも、小林さんも奈良市出身の方で、10年前にここの求人を見つけ、移り住んできた移住の先輩でもありました。
小林さんからは、大きなホテルと異なり、スタッフが少人数であるため、フロント対応、お客様の案内、料理の給仕、部屋の清掃、キャンプ場の受付など、さまざまな業務をみんなでシェアしながら行っていること、また仕事内容や雇用形態、福利厚生、繁忙期などについての説明がなされました。
お二人が特に気になるのは、やはり待遇面。他にも、年齢制限や副業は可能かなど、条件についての疑問を小林さんにぶつけていました。お話を伺った後は、せっかくなのでホテルの温泉に入ることに。
一日、小雨に降られて冷えた体をしっかり温めたら、交流会場である「かふぇ琥珀」へ。到着すると、すでにNPOのみなさんが集まって、お鍋を用意してくださっていました。
メンバーは、鈴木さんに、西本さんと妻の秀子さん、津田林業を経営する津田さんとそのお母さんの眞里子さん、社員の南さんと吉川さん、役場職員の尾𥔎さんと妻の裕子さん、地域おこし協力隊でガソリンスタンドで働く藤田さん、そして、地域おこし協力隊で空き家担当の林さんと、NPOの全員が集まってくれました。
初対面のメンバーにお二人を紹介したら、まずは歓迎の乾杯。お酒も交えての、賑やかなひと時が始まりました。
お互いが何者で、何を望んでいるのか。現在の仕事の話、家族の話、飼っている生き物の話、初めて野迫川村を訪れた時のこと、参加者二人の出会い、周辺環境のこと、歴史についてなどなど、インターネットではわからない、生の情報を交換し合いました。
食事の締めには、野迫川産の天然松茸ごはんも登場。お腹も満たし、あっという間に時間は過ぎて、一日目はこうして幕を閉じました。
そして、迎えた二日目。まずは、村の産業のひとつである、素麺工場を見学させていただきました。
お邪魔したのは、「三輪素麺」の看板を掲げる辻本製麺所。「三輪素麺」は、1300年以上前に桜井市の三輪山の麓でつくられていた素麺の製法を守り継ぐ、いわばブランド商品です。
野迫川村は、「寒冷な気候」と「清流」という、素麺作りに欠かせない二つの条件が揃っており、古くから産地として知られてきました。辻本さんによれば、雪深い野迫川村では、冬場は山に入ることができなくなるため、山仕事ができない時期の仕事として、素麺作りを始める人が多かったそう。
仕事内容はもちろん、後継者がいないことなどの話に加え、例えば二家族で協力して継業するようなこともできるんじゃないかといった、あくまで可能性の話ですが、アドバイスもいただきました。
移住を検討する際に、仕事と同じくらい大事なのは住まいのこと。昨日の交流会にも参加してくださっていた、地域おこし協力隊で空き家担当の林さんにご案内いただいて、空き家を見に行きます。
まず案内されたのは、北股集落にある平家建ての物件でした。こちらは最近空き家になったばかりとのことで、荷物がそのまま残されている状態。住むとなれば、当然片付けからの作業になること、どの程度修繕が必要かなどの情報がお二人に共有されました。
また、以前この集落に住んでいたという鈴木さんからは、平成23年の紀伊半島大水害によって大規模な斜面崩壊が発生し、甚大な被害を受けたことにより、復興住宅や河川の護岸整備がされていること、旅館があったことなど、地区についての詳しい説明がありました。
続いて一同がやってきたのは、野迫川村役場。実は、辻江さんの中学生のお子さんが、田舎の中学校への転校を希望されており、村の教育委員会の方に相談してみることになったのです。案内された部屋に入ると、教育長の池口さん、事務局職員の山本さんと井上さんが待ってくれていました。
池口さんからは、学校の規模や生徒の数、少人数だからこそのメリットとデメリット、給食費や修学旅行費などの負担が少ないことなど、さまざまなお話がありました。
それを受けて、辻江さんからは、改めてお子さんが田舎の学校への転校を希望していることが伝えられ、山本さんや井上さんとは、転校に必要な条件や検討課題など、手続きを進めるための具体的な内容を話すことができました。「子どもの数が少ない野迫川村にとって、子どもが増えることは大変喜ばしいことです」と、池口さんからも温かい言葉をいただける、とてもよい時間だったように感じました。
そのまま、学校の中も見せてもらうことになり、野迫川村小中学校の校長先生にもお会いすることができました。
平成16年、小中学校となった際に建てられ、コンクリートと木材でモダンにデザインされた校舎は、明るく開放的。現在の全学年の生徒数は12名ということもあり、一般の学校のような賑やかさはありませんが、落ち着いた環境で学びたいという辻江さんの息子さんには合っているように思えました。
学校を後にして再び林さんと合流し、もう一軒、空き家の内見に向かいます。今度は少し集落から離れた場所にある住宅です。
途中で鹿に遭遇する出来事を挟んで案内された住宅は、もともと別荘として建てられたらしく、築年数は比較的新しいものの、1.5階建てといういう感じの、一般的な住宅とは異なる少し変わった間取りの家でした。
猫をたくさん飼っている辻江さんとしては、この1.5階部分のスペースは興味深いものではあったものの、立地や建物の傷み方などを見ると、「ここに住むのは現実的ではない」という印象をもったようでした。
希望に合った空き家を見つける難しさを感じつつ、荷物の置いてある宿に戻る道中、鈴木さんの経営するカフェ兼ご自宅も見せてもらうことになりました。
鈴木さんが経営する「Cafeほうぼう」は、元々商店だった古民家を改修し、2020年にオープンしたお店です。カフェスペースの奥にある住居スペースも覗かせてもらうと、そこには鈴木さんが暮らしを楽しんでいる様子が感じられる、快適な居住空間が広がっていました。
堀江さん:わー素敵!! こんな風になっていると、住むイメージが湧きますね!
リノベーションされ、古いままの部分と新しくされた部分が共存する、いい感じの空間に盛り上がるお二人。辻江さんも「こんな物件がほかにもあればいいのに」と呟いていました。
最後は、食堂「グリーン」に寄って、お昼ごはんをいただき、今回のプログラムは全て終了。
お二人は帰り道、高野山にある金剛峯寺を見学されて、行きと同様電車を乗り継いで奈良市内の自宅へと帰って行かれました。
当日の夜、辻江さんからお電話があり、「今回ご案内いただいたところでは、移住するのはなかなか難しいんだなということがわかりました」というコメントをいただきました。どれだけその地域に住みたいと思っていも、実際に訪ねてみるとイメージと違ったり、仕事や住まいの問題が立ちはだかったりと、改めてマッチングの難しさを感じる機会になりました。
それでも、辻江さんの中学生の息子さんは野迫川小中学校への転入を希望され、地域おこし協力隊のリョウさんを保護者として、野迫川村に移住することが決定。4月の入学式にはお兄さんに連れられて登校し、現在は学校に元気に通ってくれているそうです。まずは、辻江さんの息子さんの学校生活が、ご本人にとって、健やかでうれしい時間にものになることを願っています。
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