暮らす奥大和
Try Living in Okuyamato.
Organized by Nara Pref.

レポート 2024.5.20(Mon)

便利も不便も大事に思う2人が、自然と在る暮らしを感じた3日間。

文=赤司研介(imato) 写真=都甲ユウタ

3月10日、季節は啓蟄、桃始笑(ももはじめてさく)ころ。3時間半ほど車を走らせ、夕方の下北山村に到着したのは、大阪・豊中市で写真スタジオ「ニジイロフィルム」を経営するカメラマンの米田卓也さんです。

奈良・橿原市の出身で、山登りやキャンプなどにもよく出かけるという自然好きの米田さんは、訪れたことのない秘境・下北山村の暮らしを体験してみたいと、プログラムへの参加を希望しました。

米田さん:初めまして。米田卓也と申します。3日間お世話になります。よろしくお願いします。

そんな、米田さんの真面目な人柄が表れた挨拶を受け取るのは、ホスト役の小野正晴さんと晴美さん、そして小野家の長女・心々梛(ここな)ちゃんと次女・桃百佳(ももか)ちゃんです。

神奈川出身の正晴さんと、大阪出身の晴美さんは、2017年にここ下北山村へ移り住み、「パーマカルチャー(持続可能な暮らしをデザインする知恵)」のエッセンスを取り入れた生活を「オノ暮らし」と名付け、自宅の敷地内で一棟貸しの宿「山の家 晴々-haru∞baru-(以下、晴々)」と「マキビトcafé(以下、マキビト))」を経営しながら暮らしています。

宿に荷物を下ろしたら、まずは約2年をかけてセルフビルドしたという「マキビトcafe」の建物へ。

正晴さん一人で建てたとは到底思えない立派な構造物を見て、米田さんはつぶやきます。

米田さん:こんなちゃんとした建物、自分で建てれるんですね……。

その言葉に、正晴さんは「そうですね、建てれちゃいましたね」と笑いながら応えます。現代を生きるほとんどの人と同様、「自分で家を建てる」という発想がそもそもない米田さんにとって、それはいきなりの衝撃でした。

晴美さん:晩ごはんの餃子、一緒に包んでもらってもいいですか?

この日の夕食のメニューは、手作りの餃子鍋。心々梛ちゃんもお手伝いに加わり、建築時のことや日々のことについて言葉を交わしながら、餡を皮で包んでいきます。

餃子を包み終えたら、村の特産である「下北春まな」やネギなどの野菜と一緒に煮込んで、餃子鍋のできあがり。

米、味噌、卵、たかきびなど、小野家の食卓には、自家製のものたちが並びます。

なんと、塩まで自家製。海水を煮詰めて、天日干しでつくるのだそう。

たかきびの肉味噌風。ごはんとよく合います。

晴美さん:たかきびは「救荒作物」といって、お米などの農作物が不作のときでも育つ穀物なんです。これは村の在来種で、この村にしかないものなんですが、もうほとんど栽培されていなくて。誰かが育てないと、種がなくなっちゃう。それはもったいないし、守りたいんですよね。

晴美さんは、今から10年前、「世界一周ハネムーン」と銘打ち、2年3ヶ月をかけて、世界を旅して回ったときのことを話してくれました。

晴美さん:ニュージーランドで、パーマカルチャーを実践しているお家に滞在させてもらったんですけど、照明はついていても自家発電で電気をつくっていたり、太陽の熱でお湯を得ていたり、建物もめちゃくちゃおしゃれで快適だけど自然素材で環境に負荷がないみたいなお家で、「これ、みんなしたらめっちゃいいやん!」て思って。しかも、一度作ったら、以降はほとんどお金がかからない。

 

そのホストは、私たちと同じように世界を旅して回っていたかっこいいご夫婦で、60代なんだけど、お子さんも同じ村で自分で家を建てたりしてるのを見せてもらって、次の世代にもつながってて、めちゃくちゃいいなって思ったら「ここはヘブン(天国)だ」って彼らは言ってて。

 

移住を考える人って、いい場所を探しがちなんです。でも、私たちも「どうやって決心したの?」って聞かれることが多いんですけど、結局、住んでみて、やってみないとわからない。そこがヘブンになるかどうかは 自分たち次第なんだなって、彼らから教えてもらったんです。

この7年、ひとつひとつ、正晴さん・晴美さんが積み上げてきた実践に、米田さんは驚嘆の声をあげ、二人の経験に裏打ちされた確かな言葉たちに、大いに感銘を受けているようでした。

おいしい料理とたくさんの情報で、お腹も頭も一杯になったところで、この日はお開き。満点の星空を惜しみつつ、翌日に備えて休みました。

迎えた二日目の朝。

暖かく爽やかな陽気に包まれながら、まずは小野家が家族ぐるみで仲良くしている山本さんのお宅を訪ねます。晴美さんの案内で、桃百佳ちゃんも一緒です。

晴美さん:ごめんくださ~い!

ある家の前まで来て、晴美さんが外から声をかけると玄関のドアが開き、山本典子さんと、東京から訪ねてきているというお孫さんが迎えてくれました!

晴美さんはお孫さんとも顔見知りの様子。ワイワイと言葉を交わしながら、典子さんは自宅裏の畑に案内してくれました。

東京・品川から下北山に移住して、ちょうど10年が経ったという山本家。典子さんは、もともと農家の生まれであるものの、この村に来るまでは野菜をつくることなどなかったそう。でも、今ではすっかり畑にハマり、近所に住む女性に教えてもらいながら、四季折々さまざまな野菜を育て、朝市に出したり、友人に送ったりしているといいます。

明るくさっぱりとした人柄の典子さん。野菜づくりのおもしろさや難しさ、獣害との付き合い方といった話から土地を購入したときの具体的なお話しまで、包み隠さず教えてくれました。

典子さん:この辺は辛み大根。菜の花はからし和えにして食べるのね。この柿の木は、種から勝手に出てきたのを育てていて、これは桃の木で、これはりんごの木。肥料も全部自家製。野菜は、大きく育てるには適度に数を間引かないといけないんだけど、私は間引くのがかわいそうでできなくて、あんまり育てるの上手じゃないのね。でもいいの。楽しいから。

やがて、夫の恭裕さんがやってきました。会うなり、手慣れた様子で晴美さんの腕の中から桃百佳ちゃんを抱き上げます。それはもう、家族さながらのやりとりでした。

米田さん:一枚、皆さんの写真撮らせてもらってもいいですか?

米田さんからの提案で、集合写真を撮ることに。米田さんの普段のお仕事ぶりを垣間見る、とても素敵な一幕でした。お礼を言って、山本家を後にします。

続いてやってきたのは、一軒の古民家。空き家となっている物件を見せてもらう約束を、晴美さんが取り付けてくれていたのです。ここで待ってくれていた男性も山本さん。こちらは静夫さんです。

静夫さんは、晴美さんも働いている、村のさまざまな困りごとの解消に向けたコミュニティビジネスに取り組む「NPO法人サポートきなり」の元理事長をされていた方。時にユーモアを交えたやわらかい口調の中に、豊かな経験を感じる地域のリーダー的おっちゃんです。

空き家を一通り案内いただいた後には、日向に座って、村の雰囲気や畑のこと、猿や鹿、猪のこと、子どもの頃は竹鉄砲で遊んだこと、赤穂浪士になりきってチャンバラをしたことなど、さまざまお話をいただきました。かつてのこの家の住人と米田さんの出身校が同じという驚きの偶然も判明。なんとなくご縁も感じつつ、静夫さんにもお礼を言って別れます。

その頃、大阪から遅れてやってきた米田さんのパートナー、柴田さんが到着したという連絡が入ったので、一同は「晴々」へ。

柴田優佳さんは大阪出身で、カメラマンでもありますが、本人曰く、本業はヘアメイク。結婚式や七五三など、記念日を迎える人たちの笑顔を生み出すお仕事をされています。

この日は一人、朝から電車を乗り継ぎ、三重県の尾鷲で下北山のデマンドタクシーに乗り、ここまでやってきてくれました。。

柴田さん:こんにちは。柴田です。よろしくお願いします。

簡単に挨拶を済ませたら、晴美さんは正晴さんの昼食作りを手伝うために先に「マキビト」へ。米田さんと柴田さんも、特等席のベンチで一休みしてから、中へ入ります。

キッチンで晴美さんが焼いていたのは、猟師さんからもらったという鹿肉。塩でシンプルに味つけ。

土鍋で自家製の白米がたっぷり炊いてありました。

各自お皿にごはんをよそい、手を合わせて、晴美さん特製「ひよこ豆のスパイスカレー」をいただきます。

ごはんの後は、改めて敷地内で「オノ暮らし」の全容をご案内いただきます。まずは、微生物の力を使って生活排水を濾過するバイオジフィルター。

晴美さん:金魚が生きてるのが目安で。洗濯・生活排水を自然にいいかたちで返したくて、小さなことだけど、なんか池があったな、とか子どもたちの記憶に残るだけでも意味があるかなあと。

水を使わず、土に還すコンポストトイレ。

自作とは思えない、建設中の新居。現在、基礎をつくっているところ。

「最近は鉄筋を曲げてばっかりっすね」と、正晴さんは笑います。ほかにも、夏場はお風呂がわりになるという川の縁に降りたり、春を告げるフキノトウの匂いを嗅いだり。

過ごすだけで五感が働く、いろんな自然を味わいました。

ここで、いったん小野家とお別れして、村が運営する「コワーキングスペースBIYORI(以下、BIYORI)」へ。

BIYORIでは、それぞれ集落支援員や地域おこし協力隊として、ふるさと納税に関するPRを担当しているという村島さんと八塚さんに出会いました。

村島さんは、東京を拠点とする「株式会社リヴァ」の事業のひとつ、うつ病の人向け宿泊型転地療養サービス「ムラカラ」の元利用者で、下北山での生活の中で回復し、この村での生活を続けています。一方の八塚さんは、昨年バスフィッシング好きのパートナーと共に村へ移住し、現在は釣りライフを満喫しているそうです。

続いてやってきたのは、「行者の滝」と呼ばれる段爆を望むスポット。幕末から明治時代中期にかけて活躍し、村とも縁深い日本古来の山岳宗教「修験道」の復興に尽力した山伏・実利行者(じつかがぎょうじゃ)が修行した場所といわれています。

続けてもう一つ、村の人々の信仰に触れる場所へ。8つの地区(大字)の総氏神をまつる「池神社」を訪問。

池神社の創建は今から1300年ほど前。神社のご神体とされる「明神池」が荒れ狂い、村人たちが困っているところに通りがかった修験道の開祖・役行者が、三日三晩祈祷して水神を鎮め、社を立てるよう命じたという伝説が残されています。

荘厳な空気が流れるなか、大木の上から聞こえてくる鳥たちの声に耳を澄ましながら、お二人は静かに参拝されていました。

そうこうするうちに、時刻は夕暮れ時に。一度「晴々」に戻り、一休みしてから、交流会会場である「おべんとう天照(てんしょう)」さんへ向かいます。

「おべんとう天照」は、県内のビストロや韓国料理店などで調理をしてきた店主・谷口さんが経営するお弁当屋さん。昨年から夜のみオープンする飲食店としても営業を始め、夜な夜な村内の人々がごはんを食べに集っています。

この日の交流会にも、いろんな人が集ってくれました。

まずはもちろん、ホストである小野夫妻と子どもたち。BIYORIで出会った村島さんと八塚さん。東京から嫁いでこられたシンガーの奈央子さんと、お子さんの風祐くん。村の出身で、長らく勤めた広告代理店を引退後、「NPO法人空き家コンシェルジュ」の職員として村に戻り、村内外の空き家オーナーと移住希望者のあいだをつなぐお仕事をされている後岡さん。森林組合に勤める奥田大智さんと、植物のクロモジを活用した事業を準備中の深緒さん夫妻。そして、米田さんに柴田さん。

こうして書くだけでも、随分ユニークな集いとなりました。

谷口さんが用意してくれた滋味深い参鶏湯(サムゲタン)を中心に、おいしい料理に舌鼓を打ちつつ、お酒も進んで、和やかで賑やかな時間。米田さんと柴田さんは、特に同じテーブルに座った仲さんや奥田夫妻とじっくり、村に来た理由やこれまでのこと、現在の暮らしぶりなどについて、お話をされていました。

最後に集合写真を撮影して、この日もお開きに。

そして3日目の朝です。

お天気はあいにくの雨ですが、外に出ると、水の豊かな山村の美しさを感じてもらえる風景が広がっていました。

朝から元気な心々梛ちゃんと触れ合っていると、朝ごはんの準備ができました。

目玉焼きと添え野菜、菜の花のごま和え、お味噌汁、梅干し、お漬物、たかきびの肉味噌風、そしてごはん。野菜中心の、栄養バランスのとれた健やかな朝ごはんに、柴田さんは大感動。ごはんをおかわりした米田さんも「胃に優しいからいっぱい食べられる」と笑顔です。

保育園に向かう心々梛ちゃんと晴美さんを見送り、午前中は村の歴史文化を詳しく知ることができる「下北山村歴史民俗資料館」へ向かいます。

到着すると、学芸員の松村さんが迎えてくれました。

まずは下北山村で作られたお茶を一杯いただきます。

柴田さん:あ~おいしい。

下北山村には、今でも多くの家で自家用茶をつくる文化が残っています。各家庭にはお茶の木が生えていて、どこのおうちも春に茶摘みをして、釜で火を入れ、揉んで干して、「釜炒り茶」をつくるのです。その他にも、カワラケツメイという植物でお茶を作ることや、村のおばあちゃんがつくる自家製のよもぎ餅がめちゃくちゃおいしいことなど、まずは食文化についてのお話が。

また、昨日「行者の滝」で名前があがった実利行者の遺書を見せてもらったり、世界遺産に登録されている修験道の修行の道「大峯奥駈道」によって人々の往来が起こり集落が生まれたという、村の成り立ちを教えてもらったり。

歴史の面から教えてもらうことで、また昨日までとは異なる村の姿が浮かび上がってくるようでした。

午前中いっぱい、村の文化に浸った後は、一旦「マキビト」に戻ります。

キッチンには正晴さんが、桃百佳ちゃんを背負ってお昼を準備してくれている背中がありました。メニューは、菜の花のトマトソースパスタです。

一同、ぺろりと平らげ、午後はBIYORIで、村役場に勤める林業担当の北さんと会う約束に。村の暮らしを支えてきた山と産業のお話を聞くためです。

下北山出身の北さんは、高校進学と同時に村を離れ、教師としてしばらく働いた後、村に戻ってきました。

昔は伐った木を滑らせながら川まで運び、川の流れを使って筏で海まで運んだこと。第二次大戦の戦後復興で日本は大量に木を伐ってしまったため、国策で杉・檜を植えたこと。それから60~70年が経ち、安価な輸入木材などの影響もあって国産材の値段が下がり、木を伐っても赤字となるため、そのまま放置林になってしまっていること。間伐の大切さ、健全な森林の状態とそうでない森林の比較、間伐するだけでは利益が出ないこと、林業で生計を立てれないこと、山の手入れしなければならないこと、手入れする人がいなくなること。

そういった現状を踏まえ、下北山村では小さなユンボで小さな作業道をつくり、木を山から伐り出せるようにする自伐型林業に取り組んできたこと、公的な資金を使って山の循環をつくる必要があること。山積する課題と向き合い、一歩ずつ希望に向かってトライを積み重ねてきた北さんの言葉に、お二人は真剣に耳を傾けます。

北さん:うまいこと雨も上がったので、よかったら現場に行ってみましょう。

施業現場につくと、北さんが「こっちです」と、細い道を歩いて行きます。後についていくと、木々の間がゆったりとした、気持ちのよい林が広がっていました。

北さん:道って、誰かがつけているんです。この道も、自伐に取り組む僕らの仲間が地道につくった道です。この道を使って、伐った木を運び出します。道がないと木を伐って出せないんです。

 

先ほど間伐が大事って話しましたけど、じゃあ、これだけある中から、どれを伐ると思います? 正解は、育てたい木の上側にある上の木、です。その木を間引くと、育てたい木に陽が当たるようになって、光合成がしやすく、育ちやすくなります。そうやって樹木一本一本を育てながら、山を育てていくんです。

北さん:放置林と手入れがされている林は、明るさが全然違います。中に入ると、外から見るのと、全然違うでしょ? 木が年老いてしまってからじゃ遅いんです。なるべく早く、手を入れていくことが必要です。例えばですけど、人間も若いうちは怪我も治りやすいけど、歳をとったら治りにくくなるじゃないですか。それと同じです。

北さんに別れを告げ、続いて合流したのは、昨日の交流会にも参加してくれた「空き家コンシェルジュ」の後岡さん。当初の予定にはなかったのですが、昨晩の交流を経て、二人におすすめの空き家を紹介してくれることになったのです。

そこは、下北山村らしい平屋建ての、長方形の田の字型のお家でした。

建物の傷みも少なく、戸を開け放てば、広い空と山々を望む絶好のロケーション。庭つき畑つき。敷地にはしっかりお茶の木も生えていました。

そして何より驚いたのは、そのお値段。ここでは明かせませんが、米田さんは「ヤバイっすね!」と興奮が抑えられません。それもそのはず、米田さんが借りているスタジオは、北摂という人気エリアの街中の物件。それと比較したら、一般的な金銭感覚の人であれば、まずびっくりされるはずです。

意識しなくても、「あれができる、これができる」といったイメージが湧いてくるものですが、後岡さんは、最後に冷静に検討することの大切さも二人に伝えます。いいこともよくないことも、ちゃんと教えてくれる。こういう人がいてくれたら、移住を考える人は安心だろうなと、心強く思いました。

その後はBIYORIに戻り、村役場の地域振興課で移住促進を担当している上平俊さんに、村の人口動態や高齢化率といったデータから見た村の現状や、移住を後押しする支援制度など、現実的なお話を聞かせてもらいました。

上平さん:ありがたいことに、毎年20人くらいの人が移住してきてくれている現状があるのですが、もちろん人口だけで考えると少ないより多い方がいいけれど、ただ人口が増えればそれでよいかというと、そういうわけでもなく、昔からの文化を大事にしたい人と、そういうことに縛られたくない人と、いろんな価値観の人がいて当然で、でもその人たちが混ざり合っていくなかで、折り合いをつけて、みんなで共にこの村で生きていくために考え、工夫し続けることが大事だと思っています。お二人にも、この先もよければ、この村に関わっていってもらえたらうれしいです。またいらしてください。待ってます。

あっという間の2泊3日が終了。お別れの時間となりました。

最後に、体験したこと、感じたことをそれぞれに振り返っていただきました。

まずは米田さん。

米田さん:自分が住んでいる街の暮らしとのギャップがすごくて、こっちに住んでいる皆さんが考えている自然と共存する意識、循環する暮らしをつくっていく発想が、言葉でそういうものを聞いたことはあったけど、自分の目で見て、感じられたのはすごくよかった、将来にすごくつながる経験をさせてもらったと思います。街だったら、雨を嫌だと思いがちですけど、植物にとっては、雨は嬉しいんだとか。どんなことも幸せに感じられるマインドや暮らし方が、すごくいいなと思いました。全部をお二人のようには難しいですが、いいなと思うところは取り入れて、自分たちにとっての理想な暮らしをつくっていきたいと思えた三日間になりました。ありがとうざいました。

続いて、柴田さんです。

柴田さん:私、大阪で『太陽と共に生きる』という本を読んでたんですけど、そこに出てくる生活が私からしたら、正直人間離れしていて。すごいけど、こんなんできるかなって。でも、お二人の生活が、ほぼそれなんで、なんかできるんやっていうのと、昨日も交流会に行かせてもらって、印象的だったのは、「自分で自分を治す」みたいなお話で。自分たちの生活にも取り入れたいなと思いました。自分たちだけでは知り得ないこと、出会えない人たちに会わせてもらって、すごくいい機会でした。ありがとうございました。

お二人の振り返りを受けて、正晴さん。

正晴さん:この企画は移住がテーマってことなんですけど、僕たちからすると、結果としてそうなってくれたらもちろん素晴らしいんですけど、下北山に移住するしないってのは正直どっちでもいいんです。僕らの活動も、暮らし方を見つめなおしたり、選択肢があることに気づいてもらえたりする場になれたらいいなと思ってやっていて、今回の企画もその延長で、普段のままなんです。それに対して、お二人の反応がよいのがすごくうれしかったです。お客さんにもいろいろあって、全然反応が得られない場合もあるので。やっぱりこれでいいんだなって、すごく勇気をもらいました。また遊びに来てください。ありがとうございました。

そして、晴美さん。

晴美さん:あのー、どこで住んでいようが、田舎でも、街でも、やっぱりそれぞれが大事にしたいことを忘れずに幸せに暮らしていたら、場所はどこでもいいのかなと思っていて、私たちはここを選んで、自分たちが心地よい暮らしをやっているだけなんですけど、それを見ていただいて、いいなとか、こういうのもあるんだと感じてもらえて、それが何かの気づきとか学びに繋がったんだったら、すごく嬉しいなと思っています。

 

きっと初めて来られて、いろんな人に会って、いろんな情報が入ってきて、わーってなると思うんですけど、また落ち着いて、反芻してもらって、よければまた来てもらって、再会できたら嬉しいです。いつでもウェルカムなので、またお越しください。

これで「暮らす奥大和」下北山村編はいよいよ終了、と思ったら、米田さんから、集合写真を撮りたいというご提案。

みんなで外に出て、笑顔でパシャリ。そして、晴美さんから柴田さんへ、自家製マーマレードのお土産とお手紙。

思いもよらないこの贈り物に、柴田さんは、込み上げるものがありました。

米田さんは2泊3日、柴田さんは1泊2日と、とても刹那的な滞在にもかかわらず、お二人と小野夫妻の間には、互いへの尊敬と信頼が芽吹いているように見受けられました。それはきっと、とても小さな新芽です。でも、確かに芽吹いたその双葉が、それぞれがそれぞれの場所でこれからも生きていくなかで、山の木々のように、大地から水を吸い上げ、陽を浴びて、少しずつ、ゆっくり育っていった先に、「この日があってよかった」と言葉を交わせるときが、また来るような気がしています。その日を楽しみに、レポートを終わります。最後まで読んでくれたあなたに、感謝を。

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